小説『キキさんのアルバイト」第一話その1

 先日、予告したオリジナル小説「キキさんのアルバイト」
 第一話の一章を書いたのでアップします。
 予定では四話構成で、一話ごと4章くらいで書いていければと思います。出来れば一週間に一回更新。一章分づつ進めて行ければと考えています。
 よろしくお願いします。


01.

 彼女は、名前のない存在としてこの世に生まれ出た。
 知性はなく、言葉も持たず、世に仇なすモノとしてどこかの森の中を彷徨っていた……らしい。
 マスターには、不幸の中で亡くなった子供たちの霊が形作った存在だったと教えられたが、生まれる前の事はもとより、生まれてからマスターに会うまでの記憶すら、キキさんは曖昧にしか覚えていない。
 だから、自分はマスターに出会い、名前をもらって、仲間を得て、その時に生まれたものだと、彼女……キキさんは思っている。
 マスターは冒険者だった。
 各地に残る未踏の地を探索し、宝となるものを得る。文明の中に生きる者たちにとって害をなす存在を排除し、報酬を得る。そうやって暮らしていた。
 確認したことはないが、出会いは、本当はマスターが自分を退治に来た事から始まったのだろうと、キキさんは考えている。
 しかし、マスターはキキさんを、いやその時には名前の無いモンスターだった彼女を排除しなかった。逆に、名前を与え、仲間へと誘い入れた。
 キキさんは三人目の仲間だった。
 仲間は、最終的には五人に増えた。皆、キキさんと同じような名前の無いモノたちだった。マスターはその全員に、名前と仕事と、そして生き甲斐を与えた。
 尊敬するマスターと、敬愛する仲間たちとの冒険は、キキさんにとって本当に幸福な時間だった。
 色々なところへ行った。色々な事をした。辛いこともあったが楽しいことも多かった。そして彼女たちは時間を過ごし、成長していった。
 そのマスターが異世界に旅立ってから、もう随分と永い時がたった。
 必ず戻ってくるが、それがいつになるのかは解らない。マスターはそう言って、キキさんと仲間たちに、冒険で得た全ての財産を残し、自由に生きるよう命じて旅だった。
 もちろん、仲間たちは皆、マスターに着いて行きたがったが、別の世界を渡り歩く能力はマスターしか持ち得ない。旅を何よりも愛するマスターの気持ちを汲んで、彼女たちは心より尊敬する者を見送ることを決意した。
 マスターが行った後。キキさんを除く四人の仲間は、拠点だった館を去った。もちろん、マスターが帰還した暁には再集結しようと誓ったが、全員、何をすることもなく館に篭っているような性格ではなかったのだ。
 みんな生まれた時には力弱かった者たちだが、マスターとの冒険を経て大きく成長し、独り立ちするには十分な力量を養っていた。四人は旅費は旅先で稼ぐと言って、当面の路銀だけを手に、各々旅立っていった。
 独り、キキさんだけが館に残った。
 彼女の性格と、そしてその能力は館の維持管理に向いていたし、いつになるか分からないとはいえ、マスターの帰りを寂れた無人の館で迎えるわけにはいかないと、キキさんは考えていた。それに、旅に出た仲間たちの帰る場所だって必要だ。
 そのような理由で。
 キキさんは今、一人で館に住み、マスターの帰りをひっそりと待っていた。


02.
 その部屋は館の中心にある。
 かつてはマスターと五人の仲間が会議室兼リビングとして使っていた。広い室内には、6人がけの円卓が置かれ、重厚な入り口のドアから見て、左側の壁にはこれもまた重々しい木製のキャビネットが設置され、右側にはレンガで作られた壁型ペチカが作り付けられている。
 窓の外は既に暗くなり始めており、ペチカに熾になって残った薪とレンガに蓄えられた熱が、入り込む冷気にだんだんと押し負け始めていた。
 キキさんは円卓の自分の席に座り、綴じた書類をめくっていた。
 その表情は浮かず、しばしばため息を付いている。
 キキさんは、30歳前後の人間の女性を思わせる見た目で、女性にしては長身でスレンダーな体型をしている。灰色っぽくも黒っぽくも見える長い髪を、頭頂は飾り気のないカチューシャでまとめ、さらにうなじの上あたりで色気のないリボンで縛っていた。
 特徴的なのはその耳で、長く尖り、髪と同色の羽毛に覆われている。また、専用のスリッパを履いているが、その脹脛には鱗が見え、足先には鋭い蹴爪があった。
 煉瓦色の厚手のブラウスと紺のロングスカートは、上質で丈夫な生地から作られ、その上に肩まで覆う白いエプロンを着用している。
 館の家政。それも掃除から帳簿付けまで全てをこなす彼女の、それは仕事着だった。
 浮かない顔のキキさんは、一度手元の書類から目を離し、円卓の正面に置かれた一際立派な椅子を見た。かつてそこに座っていたマスターは、だが今は居ない。表情を引き締め、もう一度、書類の数字を指でなぞる。そしてキキさんは再びため息をついた。
 家計簿に記された数字は、財産が目減りしていることを無情に示していた。
 マスターが去った後、キキさんは館の維持管理を完全にすることを再優先として働いてきた。財産はかなりの量が残されていたし、最初は金を稼がねばならない理由が無かった。
 しかし大きな館である。その維持にかかる費用は決してゼロではない。洗剤一つ取っても、無料では手には入らない。
 無駄遣いをしてきたつもりはなかったが、それでも一人で生活する無聊を慰めるために、趣味の機織りに使う糸などはたまに買っていたし、時には酒を始めとした嗜好品も購入することもあった。
 夜の闇の中でしんしんと降る雪のように。
 館の維持費用は少しづつ、少しづつ、積もっていった。そして朝、気づいた時には風景を真っ白に染めているのである。
 もちろん、しっかり者のキキさんに管理されている家計簿である。まだまだ、すぐに金に困るという段階に来ているわけではない。
 だが、マスターの帰りがいつになるか分からない以上、これは手をこまねいていい問題ではなかった。
 もしもマスターが帰った時、資金が尽きて館の維持管理がままならない状態になっていたら。
 資金管理の失敗。それはキキさんにとって耐えられない大失態である。
 キキさんは家計簿を閉じ、席を立ってキャビネットの定位置に戻した。
 チリひとつ無い室内を静かに渡ってドアの前まで行き、円卓のマスターの席に向かって一例をしてから、完璧な作法を守って部屋を退出した。
 ドアが閉められた一瞬の後。誰もいなくなった円卓の間に、錠を下ろす音が重々しく響き渡った。


03.
 キキさんは仕事と私事をきっちりと分けるタイプである。例え館に一人で住んでいても、仕事中は独り言ですらですます調になる。そんな彼女がスイッチを完全にオフにする場所の一つが、彼女の私室だった。
 もとより性格が細やかで、何よりも片付いている状況を好む彼女であるため、私室も散らかっているわけではない。しかしそれでも快適性や趣味のために少なからぬ物が貯めこまれており、彼女の部屋は、現在の館の中で最も生活感のある空間になっていた。
 そこは完全に彼女のためにあった。
 部屋の三分の一を、書見のための机と巨大な本棚が占め、残りのスペースには、キキさんの趣味である機織りや服飾のための織り機や作業台、機材などがまとめられている。多くの布や衣服が収められた行李は積まれ、隅には服や靴を作成する際に使用する木型がいくつも並べられていた。
 仕事上の彼女しか知らない人が見たら、少し雑残としているというイメージを持つかもしれない。実際には、物の多さを考えると、非常によく整頓されているのであるが。
 私室には奥にさらに一部屋あり、そこはベッドとクローゼットが置かれた寝室となっている。
 かつてマスターから管理を任されたマスターキーを、キキさんは机の上のキーボックスへと仕舞い寝室に入っていった。
 そこで仕事着であるエプロンやブラウスを脱ぎ、ベッドの上でたたみ始めた。
「まったく、ままならないな」
 女性にしてはやや低い声で、彼女は呟いた。仕事中の丁寧な喋り方ではない。
「館の管理だけしていたかったが、仕方がない。次善の策を取るしか無いか」
 綺麗に折りたたまれた衣服を、洗濯物を入れるカゴに放り込み、半裸のままクローゼットを開ける。
 スカートも脱いでいるため、長い尻尾があらわになっていた。
 キキさんは、クローゼットいっぱいに並んだ服から、「カジュアルな外行き」として作った白のブラウスと暗い色調のスカートを出した。
 着替えながら、彼女はまたひとりごちた。
「バーに行けば、アルバイトの口くらいは教えてくれるだろうさ」
 次善の策を彼女は考えていた。館の維持管理作業に支障を来さない程度のアルバイトで、管理費を稼ぐ。それがキキさんの答だった。


04.
 外行きの上に皮のコートを羽織って、彼女は館の外に出た。
 季節は初冬。針葉樹が立ち並ぶ森の奥に、彼女たちの館は建っている。
 もしも森で迷った人がこの館にたどり着いたら、きっと無人だと思うだろう。荒れてはいないようだが、こんなところに住んでいる者があるわけがない、と。
 数週間前から降り始めた雪は、ついに根雪となっており、館を、森を白く飾っていた。冬至にはまだ何日もあるが、しかし日が落ちるのは早くなっている。仕事を終えてから間もない時間であるにも関わらず、既に空は暗く、地表近くに赤紫の残光を残すのみとなっていた。とはいえ雪の反射があるため、夏の夜空よりは白く、明るい。
 キキさんは館のドアに二つ取り付けられた鍵を両方とも施錠し、鍵は小さなハンドバッグに入れた。もう何年も郵便物など来た試しのない雪が積もったポストを点検し、彼女は外出の支度を終えた。
 前庭を渡り、館の周りにぐるりと植え巡らされた低木の垣根を越えてから。
 彼女は息を吸い、目を閉じた。
 闇が、質量を持って身体を包み込む。そんなイメージを思い浮かべる。闇には形があり、それはまるで大きな一対の翼のようだ。
 キキさんの姿は、やがて薄い闇に覆われたように輪郭がぼやけ、本来の彼女とは似ても似つかぬ、黒っぽい、一対の翼のような姿となり羽根を羽ばたかせ、空へと舞い上がった。ゆっくりとしたスピードである程度まで上空に行くと、次の瞬間にはその姿を鋭い三角の羽根に変え、普通の人間の目では追えないほどの速度で飛び去っていった。
 輪郭のぼやけた薄闇が飛び去っていった後、辺りはまるで何もなかったかのように、また雪が降り始めた。

この記事へのコメント