『F.S.S.の変幻』へのアンサー。求め、知り、それ故に迷い、それでもなお求め、その先に見えるもの。

YouTubeに投稿した「【第18回MMD杯EX】結月ゆかり朗読動画『F.S.S.の変幻』高画質完全版 」に頂いたコメントへの返信が1,800文字弱になったので、駄文として公開します。



返信された人も困ってるだろうなぁ……。反省。


先に動画として投稿した『F.S.S.の変幻』
その文中にもあるように、ロングスカートに隠されたレア様のフトモモは、隠されているからこそ人間の想像でき得る最高のフトモモとなります。

しかし、人間はどれだけ美しいフトモモを想像できるか……そこにも問題が及びます。

おそらく、もっとも美しいフトモモを想像できるのは、まだ一度もフトモモを見たことがない無垢で無知な感性の持ち主でしょう。

見たことがないが故に、それがどれだけ美しいものなのかの上限を知らない。そのような人が想像するフトモモは、想像しうる最高の美となることでしょう。
しかし、これは実際とはかけ離れたあり得ない美しさでもあります。美しいものとして想像はしているけれど、では実際にどのような実像を結ぶのか。

ただ美しいという意識が溢れてしまっている状態であり、それは果たしてフトモモの美しさと言えるものなのか、疑問でもあります。

また多くの人は既に実際のフトモモを見たことがあり、かつ、未だ見ぬ人たちもいつかはフトモモを目にすることでしょう。
そうなると、それ以前のような抽象的な美しさはもはや想像すら出来なくなります。

それは「愛情」と「言葉」のような関係なのかもしれません。自分の裡にあった「愛情」は無限の広がりを持っているけれど、それを一度「言葉」で定義してしまうと、しっかりとした形を持つかわりに、その範囲は固定され、限定されます。

フトモモを見たことのない人の「フトモモ」は無限の美しさを持つけれど、見て、知ってしまったがゆえにフトモモは実像となります。

具体的にどのような美しさなのか、リアリティのある想像ができる。できてしまう。

哀しいことですが、人はそのリアリティの中でのフトモモの美しさを求めざるを得ないのです。

フトモモは丸見えの方がいい、という意見を持つ層は、この「フトモモの美しさを半端に知ってしまった」層なのではないかと思います。
もう知っているからリアルに想像できる。
しかし、知識が半端なので「理想のフトモモ」を脳裏に浮かべることがまだ出来ない。
そのレベルの人たちかと。

ならば、美しいとされる丸見えのフトモモを見たほうが良い。
彼らはそう考えるのです。

私はその人達を否定しません。むしろ丸見えのフトモモを求め、見てほしい。たくさん、多くの、フトモモを、とにかく見てほしい。
なぜならば。多くのフトモモを実際に見ることは、フトモモへの美的感覚を磨くことでもあるからです。
フトモモへの意識を、よりしっかりと持つことに繋がるからです。

スカートの奥に隠れた「理想のフトモモ」。これを想像するには、まず自分の中に「理想のフトモモとは何か」という哲学が必要です。

これは一朝一夕に思い浮かべることの出来ないものです。
多くのフトモモを見、何が良く、何が悪いのかをはっきりと理解し。
時には人との議論もし、時には一人で耽溺し。
そうすることによって思索を深め、他人の意見に惑わされない「コレが理想のフトモモ」という絶対的な自己を確立する必要があるのです。

しかし残念なことに、多くの人はそこに達することはないでしょう。
皆、「理想のフトモモ」という絶対的真理を求めながら迷っています。
朝には「これが理想的なフトモモ像」だと思っていても、夜にはやはり「あれが理想的なフトモモ像」だったと思い直すような無明の中で、人は足掻いているのです。

その状態でレア様を見ても、「スカートの奥の真理」には達し得ません。
そういう時は、丸見えのフトモモを見ている方が、まだ美しいと感じるでしょう。
多くの人はこの段階に留まります。

しかし。その思索の先にある「理想的なフトモモ」像に達した時。
人は悟りを開くのです。

悟りは、知識と迷いと、絶対的真理を求める思索の先にあります。
人は、多くの丸見えのフトモモを求め、見て、迷い、何が最高のフトモモなのかを深く考えるべきです。

未だフトモモを知らなかった頃。無垢で無知であるがゆえに想像することを許された美しいモノではなく、それを知り、求め、迷いを突破するまで考え抜いて、その上で何が最高のフトモモなのかを識るべきなのです。

そしてその果て。
悟りを開いた後。

その時にもう一度、レア様を見てみましょう。

そのスカートの奥。
隠されたフトモモ。

悟りを開いたあなたの眼に。
いや、心に映っているもの。
そう。
それこそが最高のフトモモなのです。

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