「とくダネ!」で臨時休校要請の是非を問う討論をしている時に、小倉智昭キャスターの言った「コロナの流行の瀬戸際ってのがよくわからない。それよりむしろ安倍政権が瀬戸際だろう」というピントのズレた一言を聞いて考えたこと。

さっき、 冒頭だけだけど「 #とくダネ! 」を見た。ものすごく久しぶり。
トップニュースはもちろん新型コロナ。政権による臨時休校要請に関する話題だった。

そこで #小倉智昭 キャスターが一言。
「そもそも、流行の瀬戸際ってのがよくわからない。それよりむしろ安倍政権が瀬戸際だろう(文言はうろ覚え)」
場を和ませる冗談のようなものではなく、結構ガチめのトーン。

流石に耳を疑った。
え? 今話しているのソレ? 話の焦点が合っていないなんてレベルじゃなくない?

周りのコメンテーター達はやんわりと無視していたけど、これがメインキャスターの言う事?

別に小倉氏が安倍政権をどう思っていてもいいけれど、しかし自分が住む北海道では「非常事態宣言」が出されているような危機的状況の中でメインキャスターのここまでピントのズレた一言は流石に聞き捨てならず、瞬間的に頭がフットーしそうになり、 #立川雲水 張りの「小倉氏がかつてかかった大病を引き合いに出した悪口」のような文言まで頭に浮かんだ。

それで、臨時休校要請の是非を問う討論中に「病気の流行よりもむしろ安倍政権が瀬戸際」などという関係のない話を小倉氏は何故ねじ込んで来たのか、理由を少し考えてみた。

それで思い当たったのが「憎しみ」という感情。

職業柄色々な情報に触れるだろうし、見識自体は狭まったわけでもなかろうに、話の流れも発言の妥当性やデメリットよりも優先して「安倍が瀬戸際」などと明後日の方向を向いた一言を言い放ったのは、「安倍憎し」という強い感情ゆえだったのではないか。

それはつまり、番組の看板を背負いながらも「憎しみ」のような強い感情を我慢できず、話の流れに沿った的確なコメントよりも、自身の感情に従った的外れな事を言うような存在になってしまったのではないかという事で。

そうだとしたら、寂しい限り。

学生の頃には「どーなってるの!?」や「とくダネ!」はよく見ていたし、頭も悪けれりゃ弁も立たない自分からしたら、小倉氏それなりに憧れる対象だった。

それが。
正直、今日の発言を聞いて、自分の中で「ああはなりたくない人」になってしまった。

まあ今、かなり感情的になって我慢できずにこの文章を書いているので、自分もまた遠からず「老害」と呼ばれる人種になっていくのだろうけれど。

それにしても。
「憎しみ」という感情の強さも感じた。人間、歳を取ると感情を抑制しにくくなるとは聞くが、最後まで残る感情は「喜び」や「楽しみ」ではなく「憎しみ」なのだろうか。だとしたら哀しい。



あと。

同じように立川雲水や立川談四楼も似たような「憎しみ」にかられて、言いたいことを我慢せずに書いているのだろうな、とも思った。
少なくとも、自分も小倉氏への怒りを感じた時には、彼らが(対象を小倉氏ではなく安倍総理として)書きそうな事を考えたし、それを他人に話したいという欲求を覚えた。

だから、その気持ちは少しわかった気がするし、また「憎しみ」という強い感情を「表現」のモチベーションにする事も、自分は悪いことだとは思っていない。

のだけれど。

……しかしなぁ。そう思って見てさえも、彼らのTweetは無粋で面白くないんだよなぁ……。

何となく考えているだけだけど。
結局、彼らのTweetは感情が生のまま出すぎていて、そのくせ表面的なレトリックだけ取り繕っているのが気持ち悪いのではないだろうか。

憎しみから物を書くのが悪いとは全く言わない……むしろ肯定すらするけれど、それはそのまま出してしまっては無粋。
感情をコントロールして人を楽しませる形に組み上げる事こそ、噺のプロとしての「芸」なのではないだろうか、と考えた。

まあ、今回の「安倍総理の病気を揶揄 → 謝罪撤回 → 後出しの言い訳」という流れは、それはそれで嗤わせてもらったけれど。



それにしても、昨日辺りから寝ても覚めても雲水や談四楼が頭をよぎる。これって恋?

自分の脳内にも「憎しみ」が渦巻いている自覚が出てきたので、今日はTwitterは我慢しよう……。

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