◇ キキさんのアルバイト その後の話 ◇ そのニ:旅の途中、モコとの出会い

自分の中では難産だったキキさんのアルバイト EDその第二話。
ここへ来て新キャラ登場。
流しの産婦人科医、モコです。
元ネタは、スラブ人の神「モーコシュ」。
960年には、キエフ大公ヴラディーミルに祀られた六神のうちの一柱だったようなのですが、その後、信仰を失ったらしく神格がよくわからなくなってしまった元カミサマ。
北ロシアではモーコシャという牧羊、紡績、裁縫と強く関連づけられている精霊(それってむしろキキーモラ?)の存在が信じられていたそうですが、その関係性は不明。
日本の民俗学で言うところの、祀り捨てられた存在なんじゃないかなと妄想しています。
ロシア学事始』には「一般的には、モーコシュは女神として、結婚や出産を司る女神であり、多産や結婚生活の庇護者でもあったとされる」とあります。
そこから。
結婚や出産、多産、結婚生活 = 愛。
ロマサガで「愛」といえば「赤い月の女神 アムト」。
北エスタミルにあるアムト神殿の地下に、首領のアフマドが奴隷商人から上玉を買ってはハーレムを作っていることで有名なあのアムト(いや、アムトは悪くない……)。
そんなわけで、赤い月の光と大気に満ちる魂が習合して姿を持った存在になりました。
キキさんの世界には、少なくとも赤い月と銀の月があるようです@ロマサガ的に。
月のイメージから、幻惑的、儚げというイメージ。それとのギャップとして裏で色々考えている、あるいは儚げなイメージの影でけっこう図々しい、というキャラになりました。
ところで。
アムトと言えば、幻、気、光の術。
冒険者時代には、多分、幻体戦士術とか、雷幻術、竜幻術なんかを使っていたんだと思います。あとスターソードなんかも。また気の法術は自分強化系が多かったので、意外と前衛で活躍するタイプだったのかもしれません。
話の必要上、彼女の立ち位置は「医者」。
産婦人科医としたのは、前述のモコーシュのイメージから。
色々とバレバレな伏線を貼っておきましたが、それらはだいたい「その後の話その三」で回収されます。
そんなキャラを出していたせいか、かなり長くなってしまいました。
約9000文字。普段の一章の倍。
その三は4000文字弱なので、近いうちにアップ出来ると思います。



◇ キキさんのアルバイト その後の話 ◇
そのニ:旅の途中、モコとの出会い


01.
 クーデターの影響で、各地で小競り合いの起きている下の大地を、ハクとクークラ、そして先導役兼護衛のゲーエルーが旅をしていた。
 行先は最果ての森。
 ハクの唯一の友人、キキさんの館を訪ねる旅になる。
 迷いの森から最果ての森への道は遠い。その間、これまで砦跡を出ることが出来なかった分、ゆっくりと世界を見て回るのも目的である。
 一行はキナ臭い世情の面倒を避けるため、市街地を避けて山道を行くことにした。山の中に切り開かれた砂利道を歩いていると、見晴らしのいい丘の上に出た。眼下には、山に囲まれた農村が見える。
「今日はあそこで宿をとるか」
 ゲーエルーが言った。
「賛成!」
 クークラが元気に手を挙げる。少女人形の身体に、バンド付きのニッカーボッカーズにブーツ、長袖のシャツの上から黒っぽいベストを着て、ハンチング帽をかぶった姿は男の子のようだ。
「まあ、それしか選択肢はありませんよね」
 二人に比べれば体力の低いハクは、小休止の間、切り株に座っていた。
「早く、休めるところに行きたい……」
 普段着の短いタンクトップにスキニーパンツと、その上に旅用のローブを着んだハクは、フードを脱ぎながら言った。
「まあ嬢ちゃん、もう少しの辛抱だ。なにそんな遠くじゃないさ。夕方には村に着く」
 ゲーエルーはやけににこやかだった。身体を動かしているとテンションが上がるタイプなのである。
「うん。ハクはやっぱり少し運動不足だったと思うんだ。キキさんに比べて、脇腹がプニプニしていたし」
 クークラも頷いた。
 人形の体だと努力しないでも常に完璧なプロポーションだよね、ああ羨ましい、とハクは思いながらも、反論せず無言で立ち上がり、ゆっくりと歩き始めた。

 道が下りになってしばらく歩いた。
 鬱蒼とした森が、少し表情を変える。原生林の中に辛うじて作られていたような道から、人の手が入った林道となった。
 前方に看板が見えた。村の名前が記されたそれの下には、集落の境界によくある石像が置かれていた。
 村の入口。
 そこには、一人の女性が立っていた。
 薄暗い緑の林道に映える真っ赤な髪をヴェールで包んだ美しい女性で、見た目は人間とほぼ同じ。しかし、発する雰囲気は人間のそれではなく、氷の種族や、あるいはキキさんと同じような、大気に満ちる魂が現世の物品に宿って姿をなした存在だと、一行にははっきりと分かった。
 キキさんよりは年下、ハクよりは少し年上だろうか。境界の石像に、なにやら深刻な表情をしながら話しかけている。
 村に向かっていく三人に気づくと、女性はしかし笑顔を見せた。
「あら? 旅の方です?」
「ええ。まぁ怪しいものではありません」
 先頭を歩いている、ローブのフードを目深に被っていたゲーエルーが答える。三人は歩みを止めた。ハクが、汗を拭いホッとした表情になった。
「最近、世情が不安で。一般的なルートだと危険かと思い、山道を行くことにしたのです」
「あら、それじゃわたしと同じようなものですねぇ」
「おや、ではお嬢さんも旅の途中で?」
「その割に、荷物を持っていないね?」
 クークラが素直な疑問を口にすると、赤毛の女性はニコニコしながら答えた。
「流れの産婦人科医のモコと申します。数週間前にここを通ったのですが、病人を診ることになりまして長逗留しておりますの」
 柔らかい、どことなく儚げな声が特徴的な女性だった。
「さっき、なにか話していましたけど……?」
 ハクがモコに聞く。
 するとモコの表情が曇った。
「……実は、ちょっとグチを……あの、失礼ですが、少しだけ聞いていただいてもよろしいです? 落ち込むことがありまして、誰かに話したかったんです」
 三人は顔を見合わせたが、これも乗りかかった船である。
 ハクが、モコを促した。

 モコの話は、こういうものだった。
 モコは、逗留したこの村で病弱な少女の両親に請われ、その娘の容体を看た。
 昔から身体が弱かったというその少女は、専門外のモコが診ても、もう長くはないということがわかった。
 持っている医療技術を尽くしてみたが、痛みや怠さを緩和するのが精一杯で、その寿命を伸ばすことは出来なさそうだった。
 モコは、先ほどそれを両親と、病床の少女に告げた。
 もとより自分に責任がある話ではない。
 しかしそれでもやはり気が重く、ここで一人、道祖神に対してため息をついていたのだ。

 話を聞き終わり、モコは村に泊まるのであれば付いてきてください、案内できます、と言った。
 しかしそれを遮って、クークラがモコに話しかけた。
「あの。ボクならばもしかしたら、その少女を救えるかもしれません」
「クークラ?」
 ハクが嫌な予感を覚え不安そうに名を呼ぶ。しかしクークラはそれを無視して話を続けた。
「アニメートという術があるんです」
「アニメート? 器物に一時的に魂を宿し操る術ですねぇ?」
 モコが訝しむように聞き返した。
「それでどのように死にかけの病人を救うのです?」
 クークラは、まずモコがアニメートを知っているということに驚いた。モコは、知り合いにその術の使い手がいたので、と答え、改めて病人を救う方法を聞く。
「魂が身体から離れた瞬間、アニメートでそれを操って身体に戻すんです。正確には生き返るわけではないんだけど……」
「クークラ、それは禁術だってキキさんが……」
 ハクが口をはさむが、クークラはあっさりと言った。
「でも、それで人の人生が救われるかもしれない」
「わたしも……ええとこの方……」
「ハクです」
「ハクさんの意見に同意です」
 モコは表情を険しくする。
「わたしも、博愛を象徴する赤い月の光と大気に満ちる魂が集合して生まれた存在。愛を司り、生命と出産の補助を業とする者として見逃すことは出来ません。それは邪法です」
「でも、人を死から回避させる方法になりえます。お医者さんなのに、人が死なない方法を否定するの?」
 クークラは、純粋に疑問を口にしている。モコを詰問しているわけではない。
 モコは、真剣な顔をして、子供の疑問に答えた。
「医者は生死と向き合う職業ですが、決して死を否定的に捉えるものではありませんよ。貴女は死を悪いものと決めてかかっているけれど、人は死ぬからこそ大気に満ちる魂と同一のものになるんです。そしてそれは私達のような存在へと生まれ変わるきっかけにもなります。個人の小さな魂を、外部の力を持ってそのサイクルから切り離すのは、その魂を孤独のまま据え置く事にほかならず、決して良いことではないのです」
「でも、その子の両親は、生きていて欲しいと願っているんでしょう?」
「それは、身体を持って生きているもののエゴですよぉ。……ところで貴女……」
「クークラです」
「クークラさん。貴女の身体って……?」
「……お察しの通り、身体は人形なんです。ボクは……」
 クークラは、特に隠すこともなく自分たちの来歴と、自分の体質のことをモコに話した。
 クークラがなんにでも乗り移ることが出来ると聞き、モコはしばらく考えた。
「……身体だけならば死なないようにはできるかも……」
「どうやって?」
「とりあえず、その娘に会ってもらってもいいです? 彼女と話をして。その上で身体を救うかどうかを決めてほしいです。本当に助けたいと思ったら、その方法を教えます」
 モコは、クークラに対して厳しい口調で言った。
「ただし、人を助けたいと言う想いは、必ずしも良いことだとは言えません。少なくとも、相応の覚悟を持って望まなければ、関係する人々を不幸にします。それは忘れないでおいてね。……ところで」
「?? はい」
「アニメートを死んだ人にかけるというのは、さっきハクさんが口にしたキキ先輩という人に聞いたの?」
「はい。ボクにアニメートを教えてくれた人です。実際に、死んだ人を、自我を保ったまま復活させることに成功しました」
「……実演まで……?」
「モコ……先生?」
「まあ今はいいけど……。とりあえず、ハクさんも……それからええと……」
「ゲーエルーだ」
「ゲーエルーさんも付いて来てください。その娘の家は、この付近の実力者だから部屋もいっぱいあるし、私が口を聞いたら泊めてくれると思います」
「うむ……その娘の話に関してはオレは口をだす気は無いが、宿泊させてくれるというのであればありがたい。ああ、相応の礼金も払う用意はある」
「ええ。それでは……」
 流れの産婦人科医モコについて、一行は再び歩き始めた。


02.
 ディエヴァチカは、15~6歳の身体の小さな少女で、顔色には生気が薄く、身体をベッドに起こすだけでも苦労するほど体力は衰えていた。
 モコならずとも、その死が間近に迫っているのが見て取れる。しかし少女はほほ笑みを浮かべ、クークラたちを受け入れた。
 少女の両親に、モコはアニメートのことなどは話さず、ただ同年代の子供との交流はディエヴァチカの精神に安らぎと安定を与える可能性があると説明し、彼女の部屋へクークラたちを入れる許可をもらった。
 旅人でもあるので、しばらく泊めてあげて欲しいとモコが頼むと、両親は快くハク一行を受け入れた。
 両親も、ディエヴァチカも、モコを深く信頼しているようである。
 大人たちは、少女に挨拶をすると早々に病床を出て、クークラがディエヴァチカと二人きりになった。
 クークラが持ち前の積極性で、物怖じせずに話しかけると、ディエヴァチカもモコの紹介ということでクークラに気を許し、二人はすぐに打ち解けた。
 
 ディエヴァチカは、クークラにどこから来たのか、旅の話を聞かせて欲しいとせがんだ。
 か細い声だった。
「私は、昔から身体が弱くて。どこにも行けなかったから旅人さんのお話を聞くのが大好きなの」
 クークラもまた、自分たちは幽閉されていたので、外の世界が珍しいと言い、二人は笑いあった。
 クークラは自分たちの来歴を話した。
 自分は身体を持たない魔導生物で、水晶の中で眠っていたところを、勇者がハクに渡した。最初は小さな人形に宿っていたが、ある時、今の身体である少女人形をもらい、ボクは話せるようになった。
 ディエヴァチカは、土気色の顔をほころばせて、クークラの話を聞いていた。
 スヴェシという嫌なやつがいて、自分の母であるハクに酷いことをしていた。キキさんという家政婦が来るようになり、その人に色々なことを教わった。
 アニメートの事。
 棒術の事。
 やがてクーデターが起こってそれまでの日常が終わった。スヴェシが死んで、アニメートで復活した。
 そして、旅立つ時が来た。
 少女は生気のない眼をキラキラさせて、クークラの話に耳を傾けていた。
 クークラが話し終わった後。ディエヴァチカは言った。
 今まで、旅人さんから聞いた話の中で、一番おもしろかった。
 私の話も聞いてほしい。
 クークラが頷くと、ディエヴァチカは滔々と自分の考えた話を語りだした。
 彼女の話は、元気だった自分が、色々な旅や様々な経験をし、恋をするというものだった。おおまかな所はよくあるストーリーだが、話は細かい部分までよく考えられ、聞き手のクークラを飽きさせなかった。ベッドに居るしか無かった彼女の心が、そのストーリー世界を旅し、練り上げていったのがよく分かる。
 話の途中で、ディエヴァチカの声が止まった。
 聞き入っていたクークラは、どうしたのか聞いた。体調が悪くなった?
 ううん。この先はまだ出来てないの。
 ディエヴァチカは悲しそうに言った。
 多分、私はこの旅を最後まで続けられないの。
 小さく咳をしながら、彼女は数冊のノートを取り出した。中にはびっしりと文字や図が書かれていた。
「これ、クークラにあげる」
「これは?」
「今の話のノート」
「大切な物じゃないか。もらえないよ」
「いいの。もう私は、これを使えなくなるから」
「……ディエヴァチカは、死ぬのが怖い?」
「怖いよ。でも……」
「でも?」
「モコ先生は、死んだら魂が自分の体から離れて、大気に満ちる大いなる魂の中に取り込まれるって」
「うん。それは本当」
「先生は、その大いなる魂を分けてもらって生まれたって言っていたの。赤い月の光を身体に、魂を得て生まれたって。もし今の身体で無理に生き続けることが出来たとしても、それは新しい生命として生まれ出る機会を放棄することになるし、なにより不自然なことだって」


03.
「ディエヴァチカ。ボクがさっき話したことは、創り話じゃなくて、本当の事なんだ……証拠は、そうだな」
 言って、クークラはニッカーボッカーズの右裾をたくし上げた。膝の球体関節が顕になる。
「ボクの身体は人形というのも本当……」
「……じゃあ、アニメートの術や、スヴェシの復活も……」
「本当にあった。キキさんは、あれは生きているのではなく、死ぬことを許されない存在になった不幸な人だって言っていたけど。でも、スヴェシは確かに自我をもって復活した」
 考えこむように黙ったディエヴァチカに、クークラは言い募る。
「ボクは、モコ先生の言うことはあまり理解できない。人は死んだら大いなる魂に取り込まれるのは確かで、それはアニメートを操るボクにもよく分かる。でも、そこに取り込まれた魂には自我はないんだ。個人としては、それはやっぱり消滅だと思うし、死ということなんだと思う」
 クークラの話を聞いて、ディエヴァチカは両手で自分の肩を抱くようにして顔を伏せた。
「ボクは、今はキキさん以上のアニメート使いになった。キキさんがスヴェシに行ったことは、ボクでも十分にやることができる」
 そして、クークラは囁いた。
「君は、どうしたい?」
 ディエヴァチカは、起こしていた身体をベッドに横たえ、顔を両手で覆った。
 細く、青白い手だった。
 しばらくそのまま、静かな時間が過ぎた。
「……私は……」
 ディエヴァチカは言った。
「私は、まだもっと色々な物語を考えたい。それを形にして、誰かに読んでもらいたい」
 右手の指と指の隙間から、彼女は天井を見た。
「例え身体が動かなくても、心のなかの旅を続けて、そこで見たものを表現し続けたい」
「それが、ディエヴァチカの意思?」
「うん」
「モコに話してきてもいい?」
「うん。お願い」

 クークラは病室を出て、宿泊する部屋へハク達を案内していたモコに、ディエヴァチカとの会話を伝えた。
 彼女は、不自然な状態であっても、自我を保ち続けたいという希望を持っている。
 彼女の先生であっても、ディエヴァチカがアニメートの術でこの世に留まりたいと言っている以上、その邪魔をする権利はないはずです。
 真剣に、言葉を選びながら話すクークラに対し、モコは微笑みながら言った。
 確かに、私にその権利はない。
 自由にやってみなさい。

 モコの言葉を聞いて、クークラは部屋から出て行った。
 同じ部屋に居たハクとゲーエルーに、モコは言った。
 申し訳ないが、あなた方のお子さんには辛い思いをさせることになる。ですが、年若いアニメート使いとしては、いい経験になるでしょう。
 ゲーエルーが、いや、オレの子ではないと否定した。
そして、何が起こるのかわからないが、乗り越えられる辛さであるならば、それはいい経験になるだろう、とも言った。
 モコが、儚げな笑顔を見せて「さて、私はご両親と話をしてきます」と二人に告げた
 ハクが何を話すのか聞く。
 モコはため息をついて答えた。
 クークラは、アニメートを使用する意向をご両親に伝えるでしょうから。変な期待を持つ前に、ディエヴァチカの死の運命は決して変わらないものであることを確認しなければなりません。
 生き続けられるかもしれないという無駄な希望を持つことは、その精神の傷を深めてしまいますからね。


04.
 数日後、ディエヴァチカの容体が急変した。
 両親やモコはもちろん、クークラを筆頭にハクたちも病床に同室した。
「死が……近づいてくるのが分かる……」
 ディエヴァチカは苦しそうに喘いだ。
「モコ先生……」
「近くに居ますよ」
「最後に診てくれてありがとうございました。先生の薬のおかげで、身体が随分と楽になりました」
 モコに礼を言った後、ディエヴァチカは両親の名前を呼び、涙を流してありがとうと言った。今の自分は死んでしまうし、クークラが言う方法を試してもどうなるかは解らない。
 だから、今のうちに言っておきたい。月並みな言葉だけど、二人の子供として生まれて、本当に良かった。
 ありがとう。
 そして、ごめんなさい。
 ディエヴァチカの手を握って泣く母親と、その肩を抱いて涙を流す父親と。
 その後ろで、クークラは目をつむり、大気に満ちる魂に感覚を集中させた。
 ディエヴァチカの魂は、今にも身体から離れそうになっている。
 その瞬間を逃さず、彼女の魂を認識し、操作してその身体に戻すため、クークラの集中力は極限まで研ぎ澄まされた。
 そして。
 その時が訪れた。
 少女の魂が大気に抜け出る。クークラはその瞬間を捉えた。しかし、手応えは弱く、儚い。
 クークラが、大気に抜けだしたディエヴァチカの魂を認識した瞬間。自我や記憶といった表層の部分は大いなる魂の中に溶け出し、混ざった。
 大河に流れこんだ一滴の血。それを分離することは不可能である。
 クークラは、それでもその不可能に挑戦した。
 大気に満ちる魂の中に霧散した、少女の自我の残滓を身体に戻そうと足掻いた。
 それは瞬間的で、絶望的な苦闘になった。
 術は中途半端に終わり、ディエヴァチカは大気に満ちる大いなる魂の一滴となって、自我は永遠に失われてしまった。
 クークラはがっくりと肩を落とした。
 そして、両親に言った。
「失敗……しました」
 母親は、モコ先生の言った通りでした、とつぶやいた。父親は、それが娘の運命だったのです、と諦念の表情を浮かべた。
 そして、二人はディエヴァチカの身体を抱いて、号泣した。
 クークラは、泣くことが出来ない人形の身体であることを悲しく思った。
 僅かな期間だったけれど、彼女とは心を寄せ合った友となった。
 別れがこんなにも悲しいのに。
 それを表現する方法がない。
 悲しみを洗い流すことが出来ない。
 モコは、呆然と立ち尽くすクークラに囁いた。
「泣きたいですか?」
 クークラは、モコの顔を見て、頷いた。
「しかし、さて少しだけ困ったことになりましたね」
 モコは言った。
「ディエヴァチカは亡くなりました。それは動かない事実ですが、アニメートの術が中途半端にかかってしまったため、その身体だけはまだ死んでいません……いや、ただ臓器が動いているだけだし、それもしばらくしたら完全な死を迎えるでしょうけれど」
 母親がディエヴァチカの胸に手を当てた。確かにその心臓は動いていた。
「一つの選択肢があります」
 モコは部屋の全員に向けて話しだした。
「この身体のみを再び活かす方法はあります」
 両親が、モコにすがるようにしてその方法を聞いた。
「身体が生きているうちに、別の人格に乗り移ってもらうのです。ただし、これはただ身体が死なないだけで、重ねて言いますがディエヴァチカが亡くなった事に変わりはありません。ディエヴァチカと同じ身体を持つ、別の人になるだけです」
 ハクはぎょっとした表情を浮かべた。
 この人は何を言い出すのだろう。警戒するように、クークラを背後から抱き寄せる。
 そんな動きを意に介さず、モコは両親に向かって言う。
「慰めになるかわからないし、そもそも仮にこの身体が動くようになったとしても、私は医者としてソレをあなた方の側に置くことを禁じます。なぜならば、身体だけが動いていれば、やはり少女が生き返ったと勘違いしてしまう。その歪みは、皆を不幸にするだけでしょうから」
 モコは幻惑するような表情を見せて、両親に尋ねた。
「それでも、あなた達は彼女に……身体だけでも生きていて欲しいですか?」
 両親は少しだけ考えたが、顔を見合わせて声を合わせた。
「生きていて、欲しい」
「……その考えは、愚かしい」
 深くため息を付いて、しかしこう続ける。
「でも、それは私が生涯をかけて究明しようとしている愛という感情に深く通じる心の動きでもあります。……さて、クークラさん」
 振り返ってクークラを見たモコを警戒するかのように、ハクは我が子をその背中に隠した。
「どうしますか? ディエヴァチカの身体。私は出会った時に言いました。彼女と会って、身体だけでも救うかどうか考えて欲しいと。そして、人を助けようとするのは、必ずしも善いことではなく、相応の覚悟がなければ、関係する人たちを不幸にすると」


05.
 その日の深夜。
 一行は出立した。
 動いている姿をあまり見せるのは酷だから、というモコの提案に従った。

 モコの問いかけに、クークラは応えた。
 クークラは、ハクの背中を押しのけ、ディエヴァチカの両親の前に出て、最後の確認をした。
 自分がこの身体に乗り移ります。しかしボクは旅人であり、この地に留まることはありません。モコ先生の言葉に従えば、二度と訪れることもない。それでもいいですか?
 両親は、それを肯定した。
 身体だけでも。ディエヴァチカには、身体だけでも様々な地を見させてあげたい。
 泣きながら、母親が言った。

 クークラが乗り移り、再び動き出したディエヴァチカの身体に、両親は取りすがって泣いた。それを見て、クークラはモコの話が正しいと考えた。あまり長く居ると、やはり両親は勘違いを起こしてしまい、関わる者が不幸になるだろう。
 やっぱり、彼女は死んでしまった。ボクはこの身体に乗り移って、それがよくわかりました。
 両親に、自分はディエヴァチカではないと告げ、ただこの身体で色々な土地を訪れる事を約束した。
「もう、二度と会うことはありません。ただボクはボク、クークラの名前で絵葉書を書きます。新しい土地に入る度に、必ず」

 初めての夜の旅路。
 ハクは、言った。
「それにしてもびっくりしたよ。クークラ……出来ればこういう重要なことは私にも相談して欲しい」
 弱々しい少女の身体となったクークラが答える。
「ゴメン、ハク。でも、時間もなかったし。こういう展開になるとは思わなかったんだ。それに、ディエヴァチカと違ってボクは死ぬわけではないから」
「それにしても、新しい身体はどうです? 肉体に乗り移るのは初めて?」
「はい、モコ先生。なんか、不思議な感じ……暑いとか寒いとかって、こういうことだったんだって思う。力も弱いし、すぐに息が切れる……涙を流したのも初めてだった。それに、お父さんお母さんには言わなかったけど、ディエヴァチカの考えていたことが思い出せる……」
「記憶は魂だけではなく、脳を初めとした身体にも宿りますからねぇ。あなたの体質も含めて、なかなか興味深い」
「あ、それから、さっきからお腹がクルクルする? なんだろう、この感覚」
「……空腹じゃないかな?」
「なぁ先生さんよ、なんであんたまで一緒に来たんだ?」
 つい昨日まで三人だった一行は、今は四人になっていた。さらに、アニメートをかけて自律させている少女人形もついてきているので、傍から見れば五人に見えるだろう。
「私も流れの産婦人科医。もともとが旅の途中でしたし、ディエヴァチカが死んでしまっては、あそこに残る意味もありませんから。それにクークラは生きた身体に慣れていないでしょう? 医者は必要ですよ。何より……」
 モコは笑いながら言った。
「実は私、最果ての森に実家があるんで。そもそも久しぶりに里帰りする途中だったんですよ。会った時に話に出ていたキキ先輩には言いたいこともありますしね。合理的な目的があったとはいえ、こともあろうに死体にアニメートを掛けるなんて。厳重に注意しなければなりません!」
 一人で憤激しているモコに、ハクは思った。
 ディエヴァチカの家に案内してもらった時、確かにキキさんの所に行く途中だったとは話した。
 しかし、その館が最果ての森にあるって言ってたっけ?
「何にしても、旅は道連れ、世は情け。最果ての森はまだまだ遠いですが、楽しく行きましょう、楽しく」
 赤い月が照らし出した山道に、どこか儚げなモコの笑い声が響いた。
 なよなよしい感じだけど、この人って意外と図々しいよな……新たな旅の仲間を得た三人は、それぞれそんな事を考えていた。

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